東海支部の海外登山一覧

隊名期間山域山名
アンデス学術遠征隊19661965年10月~1966年3月アンデスアコンカグア峰(6,959m)
マカルー学術遠征隊19701970年3月~6月ネパールヒマラヤマカルー峰(8,481m)
カラコルム学術登山隊19751975年7月~9月カラコルムラトック峰(7,144m)
パミール国際キャンプ隊19761976年7月~8月パミールコムニズム峰(7,495m)
日本ネパール国際親善登山隊1980年7月~11月ネパールヒマラヤガウリサンカール峰(7,146m)
日本ネパール国際親善登山隊19841984年8月~11月ネパールヒマラヤガウリサンカール峰(7,146m)
日本山岳会学生部ボゴタ登山隊19841984年7月~8月天山ボゴタ山群ボゴタ中央峰(5,287m)
日中友好雪蓮峰登山隊19861986年7月~8月天山雪蓮峰(6,627m)
青年部ロブジェイースト登山隊2001年11月ネパールヒマラヤロブジェイースト峰(6,119m)
冬期ローツエ南壁登山隊20012001年11月~2002年1月ネパールヒマラヤローツエ峰(8,516m)
冬期ローツエ南壁登山隊20032003年11月~12月ネパールヒマラヤローツエ峰(8,516m)
インドヒマラヤ登山隊20052005年7月10日~8月19日インドヒマラヤ無名峰(6,206m)
無名峰(6,080m)
ドウン峰(6,200m)
玉山・雪山登山隊20052005年11月6日~12日台湾玉山(3,952m)
雪山(3,886m)
冬期ローツエ南壁登山隊20062006年11月~12月ネパールヒマラヤローツエ峰(8,516m)
日院友好インドヒマラヤ学術登山隊20072007年7月~8月シャルミリ峰(6,069m)
インドヒマラヤ登山隊20092009年7月~8月アッチェ峰(6,060m)
50周年記念海外トレッキング
インドヒマラヤ学術登山隊20112011年7月~8月インドヒマラヤチェマピーク(6,105m)
東学連クスムカングル南東壁登山隊20132013年2月~3月ネパールヒマラヤクスムカングル峰(6,369m)
インドヒマラヤ登山隊20142014年6月~7月インドヒマラヤピアクシー峰(6,090m)

海外登山詳細

アンデス学術遠征隊1966

 東海支部の最初の海外登山である。当初ネパールヒマラヤを目標に計画を進めていた。ガウリサンカール、ツウインズ、トーツエシャール、マカルーと目標の山が二転三転しているうち、ネパールで政府よりヒマラヤ登山禁止令が出された。止むを得ず南米アンデスに転進。アコンカグア南壁の第4登(フレンチルート第2登)に成功する。

 ビッグウォールのバリエーションルートの登攀として登山界から高い評価を得る。学術面では、名大と提携して本格的な高所医学研究に取り組み、我が国の高所医学研究の嚆矢となった。

マカルー学術遠征隊1970

 ヒマラヤ解禁後の世界最初の第1号登山許可取得で一躍注目を集める。支部としては、待望の初のヒマラヤ遠征である。登山は、食料、装備、燃料とも底をつき、最後のワンチャンスで未踏の南東稜からの初登攀に成功する。マカルーの第2登と同時にジャイアンツのバリエーションルートの登攀成功で、世界的にも注目を浴びる。その年の暮、支部長と隊長が、NHKの紅白歌合戦の特別審査員として招かれていることからでもその評価の高さを窺い知ることができる。しかし、登山界の一部にはあまりにもの劇的な幕切れに登頂を疑問視する声が上がったが、翌年西稜から登頂したフランス隊によって東海支部の登頂成功が確認された。また、この始末談が小学校の国語の教科書に取り上げられるというおまけまでもついた。

 なお、本隊に先き立ち前年の1969年には、偵察隊が送り込まれている。この偵察隊は、マカルーの南東稜のサウスコルまで上り彼等のもたらせた貴重な情報と活躍が、本隊を成功に導く扉を開く鍵となった。学術班は、名大水圏が中心となって地質調査、氷河研究に成果を上げた。

カラコルム学術遠征隊1975

 カラコルムに残された数少ない7,000m峰の未踏峰ラトック?峰への挑戦である。ラトック?は、東西南北いずれの面も岸壁がそそり立ち、上部に雪崩の予想されるスノークアップを持った難峰である。登山隊は、絶え間ない落石と雪崩に悩まされ登攀を続けたが、残念ながら5,700m地点で敗退。隊は、その後計画を氷河探査行に切り替え、ビアフォ、チョクトイ、パンマーなどの諸氷河の踏査を行う。

 学術班は、ビアフォ氷河を中心に、地質調査と氷河研究に成果を上げた。

パミール国際キャンプ登山隊1976

 この隊は、日本山岳会本部の呼びかけに東海支部が応じたもので、実質東海支部隊となった。毎年ソ連政府が世界各国から登山隊を招聘してパミールで行う国際行事である。東海支部隊は、コムニズム峰とコルジネフスカヤ峰(7,105m)の登頂に成功している。

日本ネパール国際親善登山隊

 この登山隊は、ガウリサンカール南東稜の初登攀を目指す外、ロールワリン谷での架橋、陶器製造技術指導、医療援助、教育実情調査と資財寄贈等々多くの目的を持った国際親善帯であった。

 登山は、南峰基部のシャンドルと呼んだ6,600m地点で敗退、ルートの南東稜は、想像を絶する悪さで、ゴジラの背と渾名された。いっぽう親善活動は、大成功で初期の目的を果たし、特にペディン村での鉄製橋の架橋は話題を集めた。新聞紙上で、「登山は失敗、親善は大成功」と皮肉られた。

日本ネパール国際親善登山隊1984

 

日本山岳会学生部ボゴタ登山隊1984

 

日中友好雪蓮峰登山隊1986

 

青年部ロブジェイースト登山隊

 

冬期ローツエ南壁登山隊2001

 

冬期ローツエ南壁登山隊2003

 

インドヒマラヤ登山隊2005

 

玉山・雪山登山隊2005

 

冬期ローツエ南壁登山隊2006

 

日院友好インドヒマラヤ学術登山隊2007

 東海支部おなじみの中高年主体の第9次隊である。今回の山は、ヒマチャル・ブランディッシュ州のCB山群のほぼ中央に位置しているシャルミリ峰である。この山は1980年に群馬高体連隊によって初登頂されている。6,000mをわずかに上回る山だが周囲を複合流域氷河に囲まれ、2段のアイスホールと高度400mの雪壁を持つヒマラヤらしい山容を備えた山である。特に頂上稜線に至る400mの雪壁の突破が鍵であった。今回は、ここのルートを切り開くために、マナリ登山学校のインストラクター2名を協力隊員として迎え入れた。彼らの活躍のお陰で、日本人隊員3名が頂上に立つことが出来た。学術班は1960年にインドが測量調査した氷河の様子と現状との比較調査研究を実施した。

インドヒマラヤ登山隊2009

 今回の登山隊は、支部の設立50周年の記念を迎えることから、今年度よりトレッキングの派遣や記念登山隊の計画がスタートしている。50周年記念事業としては、ヒマラヤ登山隊、第11次インドヒマラヤ登山隊、台湾登山計画などの他、ネパール、スイス、モンゴルなどへのトレッキングが計画されている。

50周年記念海外トレッキング

 2011年は、支部の設立50周年の記念の年であり、前年よりトレッキングの派遣や記念登山隊の計画がスタートしており、モンゴル・エルデネ峰、ネパール・ランタン谷、チベット・カイラスの各海外トレッキング隊を派遣した。

インドヒマラヤ学術登山隊2011

 今回の登山隊は、東海支部にとって第11次14隊目のインドヒマラヤ登山隊である。チェマピークは、ラホール地区・カルチャナラ流域上部の未踏峰、無名峰である。8月9日天候が回復するとの判断の元C3を出発し、星一男隊長以下日本人5名全員とインド人スタッフが初登頂に成功した。

 山名については「双耳峰」を意味する「CHEMA PEAK]と命名した。

東学連クスムカングル南東壁登山隊2013

 東海支部の東海学生山岳連盟が中心となって取り組んだ登山隊であり、東海・関東の大学生11名が、1.クスムカングル南東壁登攀、2.高所順応をかねたアイランドピーク(6,189m)登頂、3.エベレスト街道トレッキングの3テーマを目標として参加した。現地では順調にトレッキングを行い、予定通り、アイランドピークに7名が登頂、クスムカングル南東壁は3名が完登した。頂上は悪雪で不安定なため40m手前で引き返したが、学生隊によるクスムカングル南東壁の完登はこれまでに例がなく、快挙といえる。

インドヒマラヤ登山隊2014

 今回の登山隊は、東海支部にとって第12次15隊目のインドヒマラヤ登山隊である。ピアクシー峰は、ラホール地区・カルチャナラ流域のD氷河源頭の未踏峰である。7月4日午前3時C2を出発し、好天の中、星一男隊長以下日本人隊員3名全員とインド人スタッフが初登頂に成功した。

 山名については「隠れた」を意味する「Pyagski」峰と命名した。今回の遠征には、日本山岳会110周年記念海外登山基金の助成を受けている。